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【カオの履歴書】Vol.4 (前編)カメラマン 竹内泰久

2019.10.09

ファッション誌を中心にアパレルブランドの商品撮影を担当してきたカメラマンの竹内泰久さん。これまで3万点以上のアイテムを撮影。商品そのものに魅了され、それまで誰も目にしたことのなかった物撮(ぶつど)り方法を確立しました。対峙する商品の魅力を最大限に引き出し、生き生きとした躍動感を吹き込むのが彼の写真の特長。時代の流行をモノで表現してきた彼の撮影スタイルとは。前後編を通して、謙虚な姿勢に裏打ちされたクリエイターとしての信念に迫ります。

カメラマンになる前からモノが大好きでした。店で小物やアクセサリーなんか目にすると、ずーっと見ちゃうんです。これはどういう職人さんが作ったのかな、どういう雰囲気で着けるのがいいのかな、なんて妄想したりして(笑)。アイウェアも気に入ったもの、たくさん持ってます。僕、収集癖がありまして、似合わないって分かってても、気に入ればつい買っちゃうんです。例えば、セルフレームは自分に似合わないって分かってる。だけど、カッコいいデザインだなと思ったら買う。持ってることに満足するんですよ。実際によく使うのはブロータイプです。今日は普段掛けのブローを持ってきました。先にフレームを手に入れて、後からゆっくりレンズを探します。

フレームは年に3本以上は買いますね。レンズは1年に1回くらい、熟考して決めます。正装でスーツの時は顔の輪郭の内側に眼鏡を収めたほうがキリっと見えるので小さめのサイズが好きです。

大き目のサイズだと、サングラスにもできますから、レンズを選ぶ楽しみが増えますね。ブローは濃い色味でフレームがゴールドのものが好きです。使いやすさはシルバーですけど。洋服はブラウン系が多いので、アイウェアも自然とブラウンが増えちゃいます。ヴィンテージが好きなんですが、あまりに見た目が懐古主義にならないようにしたい。トータルコーデの中に1点ヴィンテージを入れるやり方が好きです。

アイウェアの良いところは、古いものを着けても、いかにも懐古主義って感じにならないところ。ヴィンテージを差し込んでも今風のファッションに仕上げられるというのが凄いところだと思います。あと、最近はフレグランスも本気で選んでいます。白檀や檜の香りが好きです。年を重ねてからフレグランスの楽しみ方が理解できるようになりました。物撮りの仕事は大変ですが、ブランドさんが自信を持って打ち出すプロダクトを、最初に目にできることは励みになります。


*写真専門学校時代は制作スタジオでアルバイトをしました。
就職活動も制作スタジオをまわりましたが、1989年に*出版社のスタジオに就職しました。最初の1年くらいは掃除、雑用で1日終わりました。カメラマンが撮影をしている。その傍らで黙々と掃除をしていました。

その後、スタジオスタッフとしてフリーカメラマンの撮影に入りました。荷物運びや、撮影セットの設営などです。最初は何もわからず体当たりの毎日でした。仕事は体で覚えました。
それを経てから、社カメ(社内カメラマン)のアシスタントとして働きました。

スタジオスタッフとして多くの事を学びましたが、アシスタントは更に責任が重く、クレバーな仕事を要求され、毎日が恐縮でした。


ポジフィルムでの撮影は、ネガフィルムと比べて露出決定が難しく、テスト(テストとして最初に現像を出します。)が暗かったり、明るすぎたり…。

現像時間を増減して多少は救済出来るのですが、社カメはストイックなひとが多く、増減感を好みませんでした。

それ故に社カメは高い技術を持っていましたし、プライドも高かった。全てをここで学んだと言っても過言ではないです。

この時期、もっと積極性があれば未来も変わっていたかも知れませんね。


フリーになろうと決めたことはなく、流れに乗った感じです。と言うと聞こえはいいですが、正直言って会社にしがみついていた状態です。ここしかないんだって。ほかにどうすればいいのかも分からなかったので、社カメとして会社に人生を捧げてもいいかなって思っていました。フリーのカメラマンよりも社カメの仕事が好きだったってこともあります。会社には本当にお世話になりました。莫大な数のフィルムとポラロイドを消費して、ロケ、スタジオ、ファッションショー、多くの仕事をさせて頂きました。マイナーな仕事もやりました。

ガラスをはめたままでの絵画の複写等。ご褒美はモデルカットでした。
社カメとしてのプライドは、経験から来る多くの技術に裏打ちされています。
社カメとしてのスキルが足らず、編集部から干されたこともあります。とても辛かった。でもみんな、そのような浮き沈みを経験しながらプロカメラマンとして熟成していくのです。

かなり早い段階で物撮りのほうが性に合っているな、とは思っていました。正直言って、コミュニケーションが苦手だったんです。モデルさんが恐かったんですよ、強気の方が多くて(苦笑)。モデルさんによっては付き合いも長く、カメラやメーターではなく、雑巾やモップを持っている頃から。
これが、叩き上げ経歴には非常にやりずらい。
どうコミュニケーションをとってよいものか?
大抵のカメラマンはそのうちに慣れてくる。僕はプレッシャーからモデル恐怖症になっちゃって(笑)。お姉さんモデルにはモテました。
長い下積みから、やっと手にした仕事を喜ぶべきなのですが、僕は雰囲気そのものに馴染めなくて…(笑)。

物取りはマイペースですし、手をかけたなりの結果を出せますし、なによりプロダクトを眺めているほうが好きだったんで。
だんだん物取りに気持ちが入るようになり、他の仕事を受けるのが億劫になってしまいました。ファッション誌の社カメとしてどうなのかなーって。社カメとして立場も上がり、会社の外で自分の力量ってどーなんだろうって。考えるようになりました。外で自分の力量を確かめたくって…(笑)。その反面、そりゃ思い上がりでしょ。って自分もいたりして…(笑)。

そんな日々を終止符を打つ出来事があり、組織としての会社に憎悪して退社を決断しました。独立と言うより、退社です。
引き留めて下さった上司、仲間たち、本当にありがとう。

1999年に10年勤めた会社を退職しました(笑)。

独立後、切り抜き(撮影)専門のカメラマンとして地位を確立するに至るまでの流れや、今後の展望に迫る後編は、10月31日公開予定です。

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