メガネ(眼鏡・めがね)のPARIS MIKI

高品質な日本のメガネのルーツを読み解く~メガネの歴史について

2021.04.26

フレーム

鯖江メガネをはじめ、高品質と評判の高い日本のメガネは、世界でも高く評価されています。普段何気なく使っているメガネは、いつどこで発明されたのでしょうか?そこで今回の記事では、メガネが最初に生まれたとされる場所や時期、日本に初めて伝わった出来事や発展していった経緯、さらには世界に誇る鯖江ブランドの魅力について紹介します。

メガネはもともと海外で発明されました。メガネに欠かせないレンズは、イラクにある紀元前700年頃のニネヴェの遺跡から見つかったものが最古といわれています。しかし当時は太陽の熱を集めるために使われ、現在のように視力補助のために利用する発想はなかったようです。

年を取っても文字を読めるようにするためのメガネが初めて発明されたのは、13世紀のイタリアでした。当時、イタリアのヴェネチア地方で発達していたガラス技術が利用されたといわれています。

では次に、日本へメガネが伝わってきた頃の歴史を見てみましょう。

メガネが日本に初めて渡ってきたのは、かの有名なフランシスコ・ザビエルの手によってでした。日本はちょうど戦国時代の16世紀、現在の山口県にあたる周防の大名・大内義隆にメガネを献上したのが最古だとされています。

また、室町幕府の将軍である足利義晴や江戸幕府を開いた徳川家康もメガネを使っていたようで、当時のメガネが今も残されています。それらはすべて手に持って使うメガネで、耳にかけて見るメガネが出てくるには350年以上も時を経る必要がありました。

日本国内で初めてメガネづくりに取りかかったのは17世紀の長崎です。17世紀といえば鎖国が本格的になり、海外との貿易が厳しく制限されていた時代でした。材料のべっ甲、水牛の角、馬の爪などは輸入していましたが、メガネ自体は輸入に頼らず国内生産を始めたのでした。

当時、「スパニッシュイタリアン型」というヒモで耳にかける現在に似たタイプのメガネが西洋では流行っていたそうです。日本人もそれを真似ようとしましたが、顔のつくりが西洋人と比べて薄く、東洋人には合いませんでした。そこで、日本で工夫を重ねて「鼻あて」を取りつけ、鼻の低い日本人でもズレ落ちることなく使えるようになっていきました。

メガネづくりは長崎から始まり、18世紀には製造場所が大阪、京都、江戸へと徐々に広がっていきました。製造だけでなく販売も開始されましたが、今のようなメガネの専門店でやっていくのは厳しかったため、他の商品と一緒に売られていました。

メガネをかけていると「勉強や仕事熱心」「本をよく読んでいる」といった博学である印象を現在でも人に与えますが、それは当時も同じでした。ひとつ異なるのが、18世紀ではメガネを目上の人の前でつけることは失礼と考えられていたという点です。これは、西洋や東洋のどちらでも同じように認識されていました。

鎖国が終わり、文明開化が起こった明治時代には、いよいよ機械でメガネのレンズが製造されるようになりました。そのきっかけとなったのが、1875年にウィーンで催された万国博覧会です。日本からは朝倉松五郎が訪れ、現地でレンズの研磨技術を習得してきたことから始まりました。

20世紀にはいると、大阪や東京のメガネ製造技術が福井県鯖江市に伝わりました。鯖江といえば日本のメガネの聖地ともいえる存在ですが、江戸時代には農業以外の産業がありませんでした。そこで農業が休みになり収入がなくなる冬の季節に副業として農家でメガネづくりがスタートします。

当初は大阪や東京からメガネ職人を呼び、技術を学んでいきました。もともとコツコツとした作業をこなすことが得意な県民性もあり、後に日本最大のメガネ生産地へと発展していきました。その大きなきっかけとなったのが、第2次世界大戦後の高度経済成長期です。メガネの需要が大幅に増加し、鯖江でも機械による製造を取り入れて効率化が徹底されていったのです。

その結果、現在では人口7万人足らずにもかかわらず、鯖江ブランドが世界でも有名になっています。

1981年、福井光器(現クリエイトスリー)がチタンフレームの商品化に成功しました。より高品質なメガネを製造するために、福井光器は鉄より軽く、汗による錆にも強いメガネにうってつけの素材であるチタンに着目したのです。
チタンフレーム商品化の際の素材加工技術は現在では医療、ITの分野でも応用されるなど、日本における技術革新に一役かっています。

では、多くの人を惹きつける鯖江ブランドの魅力を次の章でお伝えしましょう。

国内産メガネの95%を生み出す鯖江市でのメガネづくりの特徴は、製造プロセスの分業化が徹底されているということです。200を超えるプロセスが細分化されていて、一流の腕を持つ職人が各プロセスを担当し、それぞれがこだわりを持ってメガネづくりに取り組んでいます。

大量生産に頼る他のメガネづくりとは異なり、鯖江市ではメタルメーカーの9工程(デザイン・金型・プレス、切削、ろう付け、研磨、検査、表面処理、仕上げ)、プラスチックメーカーの6工程(デザイン・削り・やすりがけ・鼻パット・テンプル・仕上げ)に、すべて職人の手が加わっている点が特徴のひとつです。だからこそ、世界一ともいわれる高品質で味のあるメガネが実現できるのです。

今回の記事では、メガネの歴史についてお伝えしてきました。紀元前700年がルーツとなるレンズやイタリアでの世界初のメガネづくり、フランシスコ・ザビエルによる日本への伝来、そこからの発展など日本のメガネの歴史をひもといてきました。

特に、1世紀以上続く鯖江市のメガネづくりは、日本におけるメガネ産業の発展に大きく貢献しています。パリミキでは、“鯖江のめがね”と題し、鯖江市を代表とする日本の洗練された技術により作られたメガネを広く伝える活動をしています。

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